大津地方裁判所 昭和62年(ワ)525号 判決 1993年9月27日
主文
一 甲事件
被告は、原告甲野太郎に対し、九九〇万九〇八八円及びこれに対する昭和六一年七月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野一郎に対し、四五〇万四五四四円及びこれに対する昭和六一年七月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 乙事件
被告は、原告に対して、四五〇万四五四四円及びこれに対する昭和六一年七月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 両事件
1 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、両事件を通じ、これを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。
3 この判決は、第一項及び第二項に限り仮に執行することができる。
理由
第一 請求の趣旨
一 甲事件
1 被告は、原告甲野太郎に対し、一六〇三万円及びこれに対する昭和六一年七月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告甲野一郎に対し、七五一万五〇〇〇円及びこれに対する昭和六一年七月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 乙事件
被告は、原告に対し、七五一万五〇〇〇円及びこれに対する昭和六一年七月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 争いのない事実
1 当事者
(一) 訴外甲野花子(以下「花子」という)は、大正七年八月三〇日生まれの主婦であつた者であり、甲事件原告甲野太郎(以下「原告太郎」という)と昭和一八年に婚姻し、同人との間に、甲事件原告甲野一郎(以下「原告一郎」という)及び乙事件原告甲野二郎(以下「原告二郎」という)をもうけた。右原告ら三名のほかに、花子の相続人はいない。
(二) 甲事件・乙事件被告(以下、単に「被告」という)は、戊田中央病院(以下「被告病院」という)を開設、経営する医療法人である。
2 治療経過
(一) 花子は、胃付近に痛みを覚えたため、昭和六一年五月六日(以下、月日の記載については、昭和六一年のことである)、被告病院内科を外来受診し、被告との間で診療契約を締結し、被告病院内科医師の診察を受けたところ、心窩部痛、季肋部痛が認められ、胃吻合部潰瘍、胃癌の疑い、胆石の疑い、腸管癒着症と診断された。
(二) 花子は、同月九日、胃吻合部潰瘍及び胃癌の疑いのため、被告病院に入院した。
(三) 同月一七日、被告病院は、花子に対して、病理組織検査を実施したところ、花子が胃癌に罹患していることが判明し、同月三一日、原告らにその旨告知した。
(四) 花子は、六月五日、手術を受けるため、被告病院外科へ転科し、丁原夏夫医師(被告病院の外科医師。以下「丁原医師」という)が担当医となつた。
(五) 丁原医師は、同月一三日、花子に対して、超音波検査を実施した。その結果、腹膜播種結節、肝臓への血行性転移、リンパ節への転移は、認められなかつた。
(六) 同月一六日、花子に対する手術(以下「第一回目の手術」という)が行われた。丙川春夫医師(以下「丙川医師」という)が右手術において、執刀を担当した。
開腹した結果は、臨床診断とほぼ同じであり、花子の癌は、漿膜への浸潤が認められたものの、リンパ節への転移、播種性転移及び肝臓への転移は認められなかつた。しかし、空腸、横行結腸及び結腸間膜は、癒着を起こしていた。このため、胃の癌組織部分とともにリンパ節、空腸、横行結腸の癒着部位を切除した。また、胆のうと十二指腸も癒着していたため、胆のうをも切除した。縫合後、花子の左右腹部にドレーン(排液管)が挿入され、手術は終了した。
(七) また、花子は、鼻から残胃までサンプチューブ(経鼻胃管、マーゲンゾンデともいう)が挿入された。右サンプチューブは、術後に胃内圧が最も脆弱な縫合部にかかり、縫合不全が発生するのを防止するために挿入する減圧用のチューブである。
(八) 花子の術後の経過は良好であつたため、被告病院は、花子を普通病棟へ移した。
(九) 花子は、同月一九日早朝から左側腹部の疼痛を訴え、診察の結果、左の腹腔内に挿入してあつたドレーンから、胆汁ようの液の流出が認められたので、丙川医師、丁原医師らは、再手術(胃の全摘術・食道空腸吻合術。以下「第二回目の手術」という)を行つたが、胆汁性腹膜炎になつていた。
(一〇) 花子は、同月二七日、内出血がひどく、病状が極度に悪化し、七月一二日には、ケイレンを起こし、血糖値の異常等の症状を示し、ついに、七月一六日、死亡した。
二 争点
1 被告の責任原因
(一) 原告らの主張
(1) サンプチューブは、その固定する位置によつては胃壁を圧迫し、圧迫部分の血流が悪化する等して、胃壁の圧迫壊死などを招く危険性があるため、これらを胃内に挿入するにあたつては、患者の胃壁を圧迫しないように適切な位置に固定する必要があり、サンプチューブを患者の胃内に固定した後は、すみやかに適切な位置にあるか否かを確認し、不適切な位置にある場合は、適切な位置に固定し直すべき注意義務ないし債務があるところ、丁原医師は、サンプチューブを固定する際、その操作を誤つて花子の胃壁ないし縫合部を圧迫する位置に固定し、かつ、六月一六日に撮影したレントゲン写真を確認して適切な位置に固定し直すことをしなかつた過失ないし債務不履行により、胃壁等に穿孔を生じさせ、このため、花子に胆汁性腹膜炎を併発させて、死亡させた。
(2) 花子の胆汁性腹膜炎の原因が仮に縫合不全であつたとしても、右縫合不全は、(1)記載のとおり、丁原医師がサンプチューブの固定時における操作の誤りを六月一六日に撮影したレントゲン写真により確認し、適切な位置に固定し直すことをしなかつた過失ないし債務不履行により生じたものであり、いずれにしても被告には、原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。
(二) 被告の反論
(1) サンプチューブは、第一回目の手術において、胃を切除し、胃腸吻合を行つた後、胃内に挿入し、チューブの先端が吻合部に当たつていないことを丙川医師及び丁原医師らが確認し、さらにチューブが食道や胃の中でたわんでいないことも確認した後に、花子の鼻にテープで固定した。
サンプチューブの先端の位置は、患者が身体の向きを変えたり、胃の蠕動運動が始まると自然に変わりうるものである。
(2) 第一回目の手術の際の花子の胃の状態は、過去に受けた手術による周囲の組織との癒着と吻合部への癌の浸潤のため、残胃が浮腫状態となつていて、組織が脆弱であつたため、漿膜縫合において、結紮糸を結紮する際に「たて」の裂傷を来す危険性が高く、縫合不全を起こしやすい状態であつた。
花子の胃壁等に穿孔が生じたのは、縫合不全のためである。
2 損害の有無・額
原告らは、花子の死亡に伴う損害として、左記のとおり主張する。
(一) 遺失利益 一〇〇六万円
花子は、死亡当時六七歳であつたから、少なくとも、あと六年就労可能であつたといえ、昭和六一年当時の女子労働者の平均賃金が月額一六万三三〇〇円であるから、新ホフマン係数五・一三四を用いて計算すると、花子の遺失利益は、一〇〇六万円余りとなる。
したがつて、原告太郎の相続分は五〇三万円、原告一郎及び同二郎の各相続分は、二〇一万五〇〇〇円である。
(二) 葬儀費用
原告太郎は、花子の葬儀費用として、少なくとも一〇〇万円を支出しており、一〇〇万円は賠償されるべきである。
(三) 慰謝料
(1) 原告太郎につき、一〇〇〇万円
(2) 原告一郎につき、五〇〇万円
(3) 原告二郎につき、五〇〇万円
第三 争点に対する判断
一 争点1について
1 争点1について判断するに際しては、まず、第二回目の手術を必要とするに至つた原因が何であつたか、すなわち、第一回目の手術後に花子の残胃内に挿入されたサンプチューブが花子の胃壁を圧迫壊死させ、穿孔を生じさせたことにあつたのか、それとも、花子に第一回目の手術の縫合不全が生じたためであつたのかについて検討しなければならない。
この点について、《証拠略》によれば、「胃・空腸吻合部の直上にパンチドアウトのリーケージあり」とのカルテの記載があり、この記載は、前者のチューブ管穿孔を窺わせる。しかし、右記載をした医師本人がパンチドアウトという言葉自体は、「全創にわたつて貫かれた」という意味であり、チューブ管穿孔の意味で使用したものではないとしていること、及び、《証拠略》によれば、そもそも花子の残胃内に挿入されたサンプチューブの位置自体が後述のとおり不適切な位置にあり、右のような位置にサンプチューブが固定されれば、チューブ管穿孔を生じさせる可能性が認められるものの、右鑑定が花子が第二回目の手術を受ける直前のレントゲン写真においても、花子の胃内に挿入されたサンプチューブの先端が吻合部ないしその直上の胃壁を貫いて、壁外まででているかどうかは不明であるとし、再手術の切除標本の粘膜面からの写真と病理所見がない以上、本件穿孔の原因が胃サンプチューブ先端部の胃壁の圧迫壊死か、胃サンプチューブ先端部の非常に近辺の吻合部の縫合不全か断定的に述べることはできないと結論づけていることからすれば、原告太郎が第二回目の手術後に丙川医師からサンプチューブによつて花子の胃壁が破られたという説明を受けたとする原告甲野太郎の本人尋問の結果を考慮しても、第二回目の手術を必要とするに至つた原因が、第一回目の手術後に花子の残胃内に挿入されたサンプチューブによる花子の胃壁の圧迫壊死、穿孔を生じさせたことにあつたと認めることはできず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。
かえつて、《証拠略》によれば、第一回目の手術後、花子には、発熱、頻脈、腹痛、腹壁緊張等の腹膜炎症状がなかつたものの、六月一九日、花子の左腹腔内に挿入されたドレーンから胆汁ようの液の排出があつたため、丙川医師や丁原医師は、縫合不全の発生を疑い、造影剤を使用した消化管検査(レントゲン撮影)を実施した結果、縫合不全が発生したと判断し、第二回目の手術をしたこと、手術診断も胃空腸吻合部の縫合不全であつたことが認められ、以上を総合すると、第二回目の手術は、花子に第一回目の手術後に縫合不全が生じたためであると認定できる。
2 次に、第一回目の手術後に花子に縫合不全が生じた原因について検討する。
(一) 《証拠略》によれば、縫合不全とは、縫合部の接着が不十分で生理的癒合にいたらず、一部または全部が離開するものであり、胃切除術後の縫合不全の発生頻度は、一ないし二パーセント前後とされていること、その発生原因は、いくつかの因子が組合わさつて発生することが多いが、加齢、縫合部付近の炎症、癒着、挫滅、縫合部の血行障害や吻合部の緊張過度もその因子の一つであることが認められる。
(二) 《証拠略》によれば、第一回目の手術直後に撮影されたレントゲン写真には、サンプチューブの先端は、腹腔の最も外側まで達しており、しかも肋骨との間が数ミリメートルしかないことから、吻合部あるいはその直上の胃壁を強く外側に向け圧排し、くいこんでいる状態であること、第二回目の手術直前に撮影されたレントゲン写真には、花子の胃内に挿入されたサンプチューブの先端が花子の胃腸吻合部の縫合線上ないしそのすぐ胃側にあり、少なくとも吻合部あるいは直上の胃壁を強く外側に向け圧排し、くいこんでいる状態であること、さらに、右両日のサンプチューブの先端の位置は、胃壁との関係において同じ位置にあることが、いずれも認められる。
(三) そして、鑑定は、そもそも右のようなサンプチューブの先端の位置は、チューブ管穿孔を生じさせる可能性があることを前提としつつ、仮にチューブ管穿孔が生じさせることがなくても、吻合部に緊張をかけたり、縫合部の血行を障害したりして縫合不全を生じさせる可能性があるという点で不適切な位置にあつたとし、第一回目の手術三日後に花子に縫合不全が生じたことについて、花子の残胃内に挿入されたサンプチューブの先端の位置が不適切であつたため、吻合部に緊張をかけたり、縫合部の血行を障害したりして、縫合不全を生じさせたと考えるのが妥当であるとしている。
右(一)ないし(三)を総合すると、花子には、加齢(当時六七歳であつた)や縫合部付近の癒着という縫合不全の誘因が存在していたことは否定できないものの、このような花子の状態のもとで、被告病院医師が花子の残胃内に挿入されたサンプチューブの先端の位置を前記のとおり不適切な位置に固定したことが主たる原因となつて、花子に第一回目の手術後の縫合不全が生じた高度の蓋然性が認められる。
3 前記のように、第一回目の手術直後に撮影されたレントゲン写真及び第二回目の手術直前に撮影されたレントゲン写真によると、花子の残胃内に挿入固定されたサンプチューブの先端の位置は、胃壁との関係において同じ位置にあつたというのであるから、被告病院医師は、第一回目の手術直後に撮影されたレントゲン写真を見れば、花子の残胃内に挿入されたサンプチューブの先端の位置が不適切な位置に固定されていることを発見することができたのに、これを見落としたか、少なくとも、これを認識しながら、花子の残胃内に挿入されたサンプチューブの先端の位置を適切な位置に固定し直さなかつたことが認められる。
4 また、《証拠略》によると、被告病院医師が、花子の第一回目の手術後の縫合不全に対して、第二回目の手術を行つたことについては、その方針の選択、手術方法など何れに関しても、医療上妥当であつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
5 以上のとおりであるから、サンプチューブは、その固定する位置によつては、吻合部を圧排して縫合不全を生じさせたりする危険性があり、しかも前記争いのない事実2(六)のとおり、花子は、第一回目の手術時、空腸や横行結腸に癒着を起こしており、縫合不全を生じさせる誘因を有しており、《証拠略》によれば、丁原医師ら被告病院医師は、第一回目の手術により、そのことを認識していたことが認められるのであるから、被告病院医師は、これを胃内に挿入するにあたつては、なおさら患者の吻合部を圧迫しないように適切な位置に固定する必要があつたのに、その操作を誤つて、サンプチューブを花子の胃壁ないし吻合部を圧排する位置に固定した。しかも、被告病院医師は、サンプチューブを患者の胃内に固定した後、すみやかに適切な位置にあるか否かを確認し、不適切な位置にある場合は、適切な位置に固定し直すべきであり、前記の六月一六日に撮影したレントゲン写真を確認すれば、花子の残胃内に挿入されたサンプチューブの位置が吻合部を圧排する危険性のある位置にあることを容易に発見することができたにもかかわらず、これを見落としたか、これを認識しながら、適切な位置に固定し直すことをしなかつた。これらの被告病院医師の過失ないし債務不履行により、花子に縫合不全を生じさせ、胆汁性腹膜炎を併発させて、第二回目の手術の甲斐なく、死亡させたというべきである。
なお、証人丁原夏夫は、丁原医師らは、第一回目の手術終了後、サンプチューブが花子の鼻から残胃内に約五〇センチメートル挿入したこと、その際、聴診器を心窩部に当てて、右チューブから空気を挿入し、心窩部で音がするかどうかにより、右チューブの先端が胃内にあることを確認し、さらにチューブが食道や胃の中でたわんでいないことも確認した後に、花子の鼻にテープで固定した旨証言するが、前記のとおり、サンプチューブを固定した位置が不適切な位置であつたことは否定できない以上、被告病院の債務不履行ないし過失を否定することはできない。また、サンプチューブの先端の位置は、患者が身体の向きを変えたり、胃の蠕動運動が始まると自然に変わることがあるけれども、本件においては、前記認定のとおり、第一回目の手術直後から不適切な位置のまま第二回目の手術直前まで変わつていないと認められ、右のように自然に不適切な位置に変わつたとは到底認められないから、この観点からも、被告病院の債務不履行ないし過失を否定することはできない。
二 争点2について
1 逸失利益
花子は、大正七年八月三〇日生まれの主婦であり、死亡当時六七歳であつたこと、第一回目の手術診断の結果、胃の五分の四程度、リンパ節、空腸、横行結腸の癒着部位、結腸間膜、胆のうを切除したことは争いがなく、このような事情のもとでは、第一回目の手術を受けた後の花子に残されていた労働能力は、五〇パーセントであつたとするのが相当である。
また、花子は、その年齢からすると、昭和六一年よりさらに六年の就労が可能であり、また、昭和六一年当時の産業計、企業規模計、学歴計、六五歳以上の女子労働者の賃金センサスによると、少なくとも原告主張の月額一六万三三〇〇円の平均賃金を得ることができたことが認められる。
以上の事実を前提とし、花子の逸失利益を生活費控除率四〇パーセントとして、新ホフマン係数五・一三四を用いて左記のとおり算出すると、三〇一万八一七六円となり、原告太郎の相続額は、一五〇万九〇八八円となり、原告一郎及び原告二郎の相続額は、それぞれ七五万四五四四円となる。
記
一六万三三〇〇円×一二×〇・五×五・一三四×(一-〇・四)=三〇一万八一七六円(小数点以下四捨五入)
2 葬儀費用
《証拠略》によれば、原告太郎が負担した葬儀費用のうち、相当因果関係のある損害は九〇万円であると認められる。
3 慰謝料
花子の治療の経過等本件に関する事情を総合すると、花子の死亡により、配偶者である原告太郎が被つた精神的苦痛を慰謝するには、七五〇万円の慰謝料が相当であり、その子である原告一郎及び原告二郎については、各三七五万円ずつの慰謝料が相当である。
三 結論
以上のとおりであるから、原告太郎につき九九〇万九〇八八円、原告一郎及び原告二郎につき各四五〇万四五四四円及び右各金員に対する花子の死亡の日の翌日である昭和六一年七月一七日から各支払済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判長裁判官 河田 貢 裁判官 本多知成 裁判官 片山憲一)